2010年10月30日土曜日

週刊朝日別冊 世界探検冒険読物号

1956

誌 名 週刊朝日別冊 世界探検冒険読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年8月10日
編集人 扇谷正造
目次画 田辺三重松
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森安治は、好んでランプを描いた。珠玉のような色とりどりのランプが、エキゾチックな雰囲気をかもしだす。花森の口調をまねれば、「部屋のランプをともす。ほのかにゆれる柔らかなあかりが、あなたを遠い未知の異境へといざなう。夜ごとくり広げられるシェヘラザードの物語、あなたは夢中で『アラビアンナイト』の世界に遊ぶ」。
——いかがです、今宵はパソコンを離れ、月の沙漠の王様になった気分で、たのしい冒険小説を読んでみませんか。

2010年10月28日木曜日

週刊朝日別冊 初夏特別読物号

1956

誌 名 週刊朝日別冊 初夏特別読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年6月10日
編集人 扇谷正造
目次画 寺田竹雄
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】「…トビ口に目をくっつけただけのような、頭もアゴもない、鳥類だか人類だかわからない、ふしぎな人物の漫画があちこちに載るようになって、彼はいつのまにか、時代の脚光を浴びる人気者になった」と、杉森久英が書いている(『人間の鑑賞』所収)。顔の下半分に口とアゴがつけば、アメリカの雑誌『ニューヨーカー』で活躍したスタインベルグが描く漫画に、似ていなくもない。ボンネをかぶり、傘をささずにパイプをくわえている人物が、きっと花森本人なのだろう。とぼけた感じで味のある肖像画になっている。

2010年10月26日火曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第3号

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第3号 漫画と読物
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年4月10日
編集人 扇谷正造
目次画 初山滋
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】昭和30年『婦人公論』2月号に石垣綾子が「主婦という第二職業論」を発表すると、4月号では坂西志保が「主婦第二職業論の盲点」で反論し、家庭における主婦のおかれた立場について、「識者」たちが侃々諤々の論戦をはじめた。いわゆる第一次主婦論争である。それにさかのぼる昭和28年7月、六興出版発行の『小説公園』に、花森は「女性家畜説」を発表していた。人権について、女性じしんの自覚と奮起をうながしこそすれ、主婦をおとしめたり、家事を軽んじたりはしていない。
明治44年のきのう、花森安治は、やさしかった母から生をうけている。

2010年10月24日日曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第2号 

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第2号 特集漫画と読物
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年2月10日
編集人 扇谷正造
目次画 三田康
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森安治の表紙絵には、洋書や英字新聞が描かれているものがある。港町神戸に生れ育った花森は、小学校同級の田宮虎彦とおなじように、幼くして西洋人と交際があり、『宝石』昭和33年3月号での江戸川乱歩との対談によれば、クロフツの推理小説を好み、旧制松江高校時分から原書で読んでいたという。花森の絵がバタくさいと評されるのは、そのおいたちから来るのであろう。エスプリを感じさせる。

2010年10月22日金曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第1号 迎春お笑い読本

1955

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第1号 迎春お笑い読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和30年12月10日
編集人 扇谷正造
目次画 清水崑
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】表紙から、画題がなくなるとともに、<表紙の言葉>欄もなくなっている。絵に語らせていることを、さらに作者が語るのもおかしなもので、前掲した花森のことば通りなのだ。
見るがわの想像にゆだねられると、日本の父親の心象風景がうかぶ。イブにサンタになってプレゼントをやっても、またすぐ正月にはお年玉をやらなくてはならぬ。「ぼくにもくれよ」と言いたい。でも、口に出して言えないんだなあ、これがーー。花森曰く「ホンネは弱音だ」。
この絵で注目したいのは、誌名ロゴに特集タイトルの文字を重ねているところ。花森のデザインにしては異例である。

2010年10月20日水曜日

週刊朝日別冊 昭和29年第3号

1954「朝の食卓」

誌 名 週刊朝日別冊 昭和29年第3号 特集ニュース・ストーリー
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和29年8月10日
編集人 扇谷正造
目次画 初山滋
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全164ページ
定 価 70円

<表紙の言葉>「朝の食卓」・・・花森安治じしんの解説
「朝の食卓」などと、キザな題をつけましたがね、実は、題など、なんでもいいはずなのです。表紙というのは、これは一種のポスターだ、というのが、ボクの意見ですからね。しかし、食卓といってもいろいろあります。まあ、この雑誌の出るのが八月半ばということだから、つまり暑いさかりと思わねばならぬ。そういうときは、どうです、まず「朝の」食卓とでもすれば、すこしは、爽やかな感じがするかもしれん、といったアサハカな気持が動きましてね。なんのことはない、猫の傍に竹を描いて、猛虎之図といったのが、田舎の旧家の床の間にかかったりしている、まあ、あのたぐいですね。だから、ヘタな絵にかぎって、キザな題をつけたがることになってしまうのです。恐縮です。

【ひとこと】状態がよければ、あざやかな食器の色づかいが白地に映えて、朝の食卓にさしこむ夏のあかるい陽光さえも感じられるにちがいない。さわやかな音楽が、いまにも聞こえてきそうな花森安治の構図がみごとなだけに、とても残念。

2010年10月18日月曜日

週刊朝日別冊 昭和29年第2号

1954「たのしい酒」

誌 名 週刊朝日別冊 昭和29年第2号 初夏読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和29年6月10日
編集人 扇谷正造
目次画 宮本三郎
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全164ページ
定 価 70円

<表紙の言葉>「たのしい酒」・・・花森安治じしんの解説
酒は飲めないが、酒をのむ人とムダ話をしている時間は、たのしさ限りない。生れつきが、たいへんなおしゃべりの性だから、相手がシラフだとあとでいつもイヤになるほど、こちらがひとりでしゃべりまくる。その点、すこし向うが飲んでいるくらいが、ほどほどにつり合いがとれるからだ。そんな酒は、だから注文をつけさせてもらうと、洋酒の方がいい。日本酒ショウチュウの類は、こんどは向うが度をすごして、もてあましてしまう。

【ひとこと】本誌は週刊だから<今週の表紙>、別冊は隔月刊だから<表紙の言葉>としたようだ。
花森は「生れつきが、たいへんなおしゃべり」と言っている。談論風発であった。相手をうませなかった。池島信平は「ラジオだけに出ていても、メシを食える人間である」と評したが、花森は口だけでなく、なにより手を動かしていなければおれないタチの人間であった。花森は心筋梗塞にたおれて以来、タバコをやめ、酒席をさけるようになった。ひとを嫌いになったわけではない。

2010年10月16日土曜日

週刊朝日 昭和29年9月5日号

1954「九月のカレンダー」

誌 名 週刊朝日 昭和29年9月5日号
発 行 朝日新聞社
編集人 扇谷正造
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全84ページ
定 価 30円

<今週の表紙>「九月のカレンダー」・・・花森安治じしんの解説
これは、表紙にはちがいないが、もちろん絵ではない。表紙は、なにも絵でなくてもいいではないか、というのは、もとより三文画工の表向きの強がりで、ありていにいえば、これは、月々、仕事場の壁にはりつけてあるカレンダーの一枚である。でき合いのこよみは、デザインより、第一文字が小さすぎて、日限り仕事に追われる身には、ちと間に合いかねる。そこで、忙しい忙しいとこぼしながら、毎月のはじめ、クレヨンで、こよみを一枚描いて、前月のと取りかえるクセがついた。もっとも、そのクセを、この雑誌にまで押しつける気は毛頭ないのだが……。

【ひとこと】本号には『岩堀喜之助という男・百万雑誌「平凡」の秘密』と題する記事が掲載され、花森の談話として岩堀評がのっている。岩堀はマガジンハウスの創業者であり、戦時中、大政翼賛会宣伝部で花森と机を並べた旧知の間柄である。
「こりゃ『ハモニカ』だね。ハモニカの好きな年ごろ、そのレベルを完全にキャッチしたのが『平凡』だ。ハモニカ級はいままで世間で大事にされたことがなかった。それを、押しつけちゃいけないが、対等にあつかい、尊重していくような顔つきで接すると、こりゃウケるのが当たりまえだ。事実、岩堀を見ていると、九〇パーセントまでは本気でハモニカ級の友達になっているからね。これが大切だ。インテリはだまされやすいが、ハモニカ級は動物に近い本能で、かぎわける。岩堀はインテリの分からないハモニカ語を理解できる。一つは中国の宣撫工作で覚えたテクニックかもしれない。シリにツギの当った背広をきたり、住宅でも社長は最後でいいという考え方、これをキザとは思わないが東洋的モラルの岩堀趣味だ」。
ーーまるで花森じしんのことを言っているようだ。 

2010年10月14日木曜日

週刊朝日 昭和26年7月8日号

1951「絣<かすり>」

誌 名 週刊朝日 昭和26年7月8日号
発 行 朝日新聞社
編集人 扇谷正造
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全56ページ
定 価 30円

<今週の表紙>「絣<かすり>」・・・花森安治じしんの解説
物心ついてから、もめんというもの、明け暮れに馴れもし、なじみもしている筈でいて、はじめて眼にしみ骨身にしみて美しいと思ったのは、例の空襲のどれかの朝、泥まみれのゲートルの足で、あわや踏みつけようとして拾い上げた、焼けのこりの唐桟縞の端っきれ。鮮かな藍のいろが、なまじ痛々しいほどで、以来もめんは、わが絵となり、わが文字となった。田を作るすべも知らず、さりとて、文字を並べて詩にならず、絵具をこねて画にもならぬ、おろかな才をなげきたい折々は、ちびたチャブ台の隅に、もめんぎれをならべてわずかに遊びもするのである。所詮は、侘しい日本の暮しの片隅で、ほそぼそと吹いてみる、いわば歯のかけて、音色もたどたどしいハーモニカのひとふし、これを詩といい、画とよぶ思い上りは、もとよりありません。

【ひとこと】表紙コンクール参加作品である。
週刊朝日はこの年、5月13日号から8月19日号まで、15人の画家に表紙をかいてもらい、読者にどの表紙が好もしかったか投票させ、順位を競わせた。投票者には抽籤で、高額賞金にくわえて原画を贈った。ちなみにコンクールに参加した画家は掲載順に、小磯良平、佐藤敬、岩田専太郎、東郷青児、小絲源太郎、木下孝則、児島善三郎、宮本三郎、花森安治、宮田重雄、林武、三岸節子、猪熊弦一郎、荻須高徳、岡田謙三。なかで独り絵をかかなかった花森安治に、編集者としての節度とはじらいを感じるのだが、結果やいかに。

2010年10月12日火曜日

週刊朝日 昭和26年2月25日号

1951「青い洋燈」

誌 名 週刊朝日 昭和26年2月25日号
発 行 朝日新聞社
編集人 春海鎮男
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全56ページ
定 価 20円

<今週の表紙>「青い洋燈」 ・・・花森安治じしんによる解説
清才女のあけぼのは一向におぼえぬ方だから、春は青、それも浅春のうすら冷えの底にうごく気配を、年々四季の第一の感情となつかしんでいる。絵具をもてあそんで、しかも、なにやら時のごときものをうたい出そうと色をこねくるのだから、絵になるわけはない。あかい簞笥も、あおい洋燈も、かべもふすまも、所詮は下手な詩のひとふし、絵とみないで詩とみてください。
それにしても、出来の悪い、がたぴしとした三文詩だ。

2010年10月10日日曜日

週刊朝日 昭和24年1月30日号

1949「冬のアクセサリー」

誌 名 週刊朝日 昭和24年1月30日号
発 行 朝日新聞社
編集人 宮田新八郎
判 型 B5判 中綴じ 表紙共全28ページ
定 価 10円

【ひとこと】このころはまだページ数が少なく、のちの号に掲載される<今週の表紙>という表紙作者の解説文はない。この表紙絵から想像できるのは、糸やハサミが描かれているところから、アクセサリーとはじぶんで作るものであったようだ。ちなみに「アクセサリー」は、花森が服飾用語として戦後の日本に流行させたことばであった。