2010年11月29日月曜日

座談 昭和23年9月号

1948
誌 名 座談 昭和23年9月号 第2巻第8号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年9月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 芹澤銈介
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 35円

【ひとこと】池島信平の著書に『編集者の発言』(暮しの手帖社、1955年)がある。そこに「座談会について」と章をたて、編集者のこころえを、わかりやすくのべている。座談記事にかぎらず池島の発言は、滋味あふれ芳醇だ。菊池寛はじめ作家たちの追想も、たのしい。絶版にしているのが、もったいなくおもえる。花森安治の『暮しの手帖』は、この年この月20日、創刊された。

2010年11月26日金曜日

座談 昭和23年8月号

1948

誌 名 座談 昭和23年8月号 第2巻第7号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年8月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 宮田重雄
印刷人 大橋芳雄
印刷所 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全70ページ
定 価 30円

【ひとこと】誌名が『座談』であれば、対談鼎談はもとよりさまざまな座談記事でいっぱいの印象をあたえるが、そんなことはない。毎号一篇か二篇である。英字でTOPIC MAGAZINEとあるように、そのときどきの事件や話題に取材した記事が主体である。しかし座談をよびものにしようという意図は、たとえば創刊号の「阿部定・坂口安吾対談」にあきらかで、その後「輪タク車夫街頭座談会」「婦人記者座談会」「浮浪児座談会」というふうに敗戦後の社会世相をうつした座談会が企画されている。ジャーナリズムの表舞台に、識者や著名人ではない人びとを登場させ発言させたところに、出版人の反省と志がある。

2010年11月24日水曜日

座談 昭和23年6月号

1948

誌 名 座談 昭和23年6月号 第2巻第5号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年6月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 脇田和
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全68ページ
定 価 28円

【ひとこと】一般雑誌の表紙に、道具や日常雑貨を描きこんだのは、おそらく花森が最初ではないか。ペンチ、ハサミ、ひげそりブラシ、ビアマグ、フライ返し(ハエたたき?)らしきものまで描かれているが、こんなふうにレンガの壁に雑然とかけている家があるわけもなく、雑誌の内容とも関係がない。しかし、手であつかう道具ばかりであることが、「敗戦国再建」の新しい息吹を感じさせる。

2010年11月22日月曜日

座談 昭和23年5月号

1948

誌 名 座談 昭和23年5月号 第2巻第4号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和23年5月1日
発行人 池島信平
編集人 鈴木貢
目次画 小穴隆一
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全68ページ
定 価 25円

【ひとこと】22年暮れ発行の1月新年号から翌年の4月号まで、蒐集できないでいる。その間に、発行人は池島信平のままだが、編集人は鈴木貢にかわったようだ。池島は新雑誌のお膳立てをすませるや、鈴木にあとをまかせたのではないか。そこに池島と花森の気質のちがいがうかがわれるし、雑誌づくりの危うさもある。その意味については、後にふれたい。表紙の時計と鍵、ランプとともに花森は好んで描いた。いずれも機械工芸品で、職人わざの粋がある。

2010年11月19日金曜日

座談 創刊号のオビについて

1947

【ひとこと】創刊号には「オビ」がついていた。ごらんのように、特集の目玉は阿部定と坂口安吾との対談で、これをオビに強調した。憶測であるが、オビをつけることには、花森安治と池島信平のあいだで、お互いぎりぎりの意見交換があった筈である。花森はオビをつけることをきらっていた。オビによって、せっかく描いた表紙が、かくれてしまうからである。オビで釣るつもりなら、表紙絵は無用ではないか。

花森は池島に条件をつけて譲歩したのだろうか。オビの右端に、小さな但書がよめる。すこし見づらいが「お買い上げの方は此のビラをお捨て下さい」とある。職人花森のプライドであろう。
花森安治は、これとほぼ同じ趣意の但書を、24年後の昭和46年刊行の自著『一銭五厘の旗』のオビにそえている。 ちなみに当時はオビのことを「腰巻」とも言った。その呼称を下品だと、花森はオビそのものよりさらに嫌っていた。



 
【哀悼】黒岩比佐子さんのご冥福をお祈りいたします。
黒岩さんはブログ『古書の森日記』で2006年5月22日〜26日まで、暮しの手帖創刊号から第5号までとりあげ「花森安治の表紙画を眺めているだけでも楽しい」と書いてくださいました。若くして本の目利き、読み巧者、こころやさしい文筆家を、失いました。ざんねんです。合掌

2010年11月17日水曜日

座談 昭和22年12月創刊号

1947

誌 名 座談 昭和22年12月創刊号 第1巻第1号
発 行 文藝春秋新社
発行日 昭和22年12月1日
発行人 池島信平
編集人 池島信平
目次画 岡鹿之助
印刷人 大橋芳雄
印 刷 共同印刷株式会社
判 型 A5判 平綴じ 表紙共全66ページ
定 価 18円

【ひとこと】池島信平著『雑誌記者』(中央公論社)には次のように書いてある。
「…昔の『話』の代りに戦後『座談』という雑誌を出したが、(中略)このときの編集で思い出すのは、表紙に、当時無名であった花森安治君に乗り出してもらったことで、草創期の「暮しの手帖」社の小さな部屋に、彼を訪れて頼んだのが、初対面である」。
花森より2歳上の池島も東大(文学部西洋史学科)出身。在学中つき合いのなかった後輩のところに表紙をたのみに出向いた池島の、編集者としての人物を見る目のたしかさと自負が、この一節からうかがえる。

2010年11月15日月曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第6号 炉辺読本

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第6号 炉辺読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年10月28日
編集人 扇谷正造
目次画 小倉遊亀
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ

【ひとこと】花森がかく絵の多くは、対象がデフォルメされている。それゆえ花森は、対象を正確にえがく写実力に欠けているとおもわれがちだ。しかし小学生のとき、かいた絵が正確緻密で、親にかいてもらったと先生に疑われた、というエピソードが伝わっている。精神科医にしてエッセイスト、現代ギリシャ詩の翻訳でも知られる中井久夫は、花森に「直観像資質」を感じるという。眼で見たものを、そのまま写真のように記憶でき、それを表現できる才能らしい。画家にかぎらず、頭の中の将棋盤に駒をさす棋士、頭のなかの譜面に音符をかく作曲家もいるように、空間認識にすぐれた人びとは、さまざまな分野で活躍している。

【お知らせ】今回をもって、『週刊朝日』および同別冊の表紙篇をおわります。なお、いままでの表紙をスライドショーにまとめました。
http://www.youtube.com/watch?v=NoZXq8Ynj9k
 次回(11月17日)より、文藝春秋新社刊『座談』および『文藝春秋増刊』の表紙篇をご紹介します。

2010年11月12日金曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第5号 秋季特別読物号

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第5号 秋季特別読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年8月28日
編集人 扇谷正造
目次画 福田豊四郎
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円 

【ひとこと】向井潤吉、松野一夫、宮田重雄、横山隆一、鈴木信太郎、岡部冬彦、生沢朗、横山泰三、佐藤泰治、木下二介、高沢圭一、近藤日出造、茂田井武、猪熊弦一郎、三田康、鴨下晁湖、田代光、高野三三男、小磯良平、風間完、木村荘八、福田豊四郎、石川滋彦、伊勢正義、山本武夫、江崎孝坪、中尾進、御正伸、新井勝利、中一弥、伊藤善、野口昂明、阿部展也、桜井浜江、杉本健吉、清水崑、三芳悌吉。
花森が表紙をかいた別冊の、本文に挿絵をかいていた画家の名まえを列挙してみた。挿絵の専門家のみならず、著名な洋画家、日本画家、漫画家までもが内容にそって挿絵をかいている。ため息がでてしまう。

2010年11月10日水曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第4号 涼風お楽しみ読本

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第4号 涼風お楽しみ読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年6月28日
編集人 扇谷正造
目次画 東山魁夷
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】 別冊の目次は両観音開き。目次まわりを飾っているのが目次画。お気づきのように、錚々たる画家に描いてもらっている。花森が表紙をかいた号だけでも、宮本三郎、初山滋、清水崑、三田康、寺田竹雄、田辺三重松、高野三三男、小絲源太郎、中村岳陵、山口蓬春、東山魁夷、福田豊四郎、小倉遊亀という豪華な顔ぶれ。だが表紙は、目次画と本質的なちがいがある。表紙は絵であって絵ではない。書店にならんだとき、ひときわ客の目をひき、その手にとらせ、買わせるパワーを必要とする。「表紙はポスターである」と花森が看破したゆえんである。花森安治は、雑誌の表紙に思想をあたえた編集者であった。

2010年11月8日月曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第3号 新緑特別読物号

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第3号 新緑特別読物号
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年4月28日
編集人 扇谷正造
目次画 山口蓬彦
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森が足繁くかよった店の一つが銀座の天賞堂。鉄道模型を買うためである。花森は、知る人ぞ知る鉄道模型のコレクターであった。模型だけではない。鉄道そのものが好きで、電車が走るようすを8ミリに撮ってたのしんでいた。昭和47年<国鉄百年祭に>寄せた花森の詩がある。大沢隆男が曲をつけて『レール』という歌になった。

百年たってみて いろいろやってきて 結局わかってきたことは 鉄道とは 人間を運ぶものだったということではないか それを 儲け第一に考えるのが なにか合理的なことと考え違いして ずいぶん人間を粗末にしてきた 人間を大切にすれば 赤字を出してあたりまえだ 明日から百一年だというではないか あたまの路線を敷きなおし あらためて笛を吹き 汽笛を鳴らすときだ 出発進行!(日本音楽協議会『うたのひろばⅤ』所収)

2010年11月5日金曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第2号 傑作時代小説集

1957

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第2号 傑作時代小説集
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和32年2月28日
編集人 扇谷正造
目次画 中村岳陵
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】花森にしてはめずらしい風景画。校庭からおおぜいの子どもたちの歓声が聞こえそうだ。昭和22〜24年生まれの子どもが学齢に達した。教室がたりないくらい小学校に児童がいた。堺屋太一が「団塊の世代」と名づけた子どもたちである。現在、その子どもたちも還暦をむかえた。施設と働き手がたりなくて、介護を受けられない老人たちが巷にあふれる日が、すぐそこに来ているのではないか。

【お知らせ】いつも「花森安治の装釘世界」をごらんいただき、ありがとうございます。 おそれいりますが、今月から拙ブログの更新日を毎週月・水・金曜日の3回とさせていただきます。更新時刻は、いままでどおり午前6時です。この後ともよろしくお願い申しあげます。

2010年11月3日水曜日

週刊朝日別冊 昭和32年第1号 新春・お楽しみ読本

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和32年第1号 新春・お楽しみ読本
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年12月10日
編集人 扇谷正造
目次画 小絲源太郎
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】このころ暮しの手帖社は西銀座にあった。戦争で焼け残ったビルの3階1室を借りていた。まわりは高級クラブやキャバレーがひしめいて、夕暮れともなれば、華やかに着飾った女性たちが、アリの巣にすいこまれるように雑居ビルの中へと消えていった。ときは神武景気。師走のイブ、銀座の路地では兵隊のようにサンタ姿がくりだし、そこかしこで客集めをしていた。この年の経済白書は「もはや戦後ではない」と記している。楽しげな絵なのに、どこか悲しい。

2010年11月1日月曜日

週刊朝日別冊 昭和31年第6号 特集日本映画

1956

誌 名 週刊朝日別冊 昭和31年第6号 特集日本映画
発 行 朝日新聞社
発行日 昭和31年10月10日
編集人 扇谷正造
目次画 高野三三男
判 型 B5判 平綴じ 表紙共全172ページ
定 価 70円

【ひとこと】婦人のプラカードにある「太陽族映画」とは、この年に封切られた日本映画『太陽の季節』『処刑の部屋』『狂った果実』のことで、ともに石原慎太郎原作である。いまでは想像もつかないが、当時はこれが公序良俗をみだすと社会問題にまでなった。けれど慎太郎裕次郎兄弟は、旧態に挑むそのかっこよさで世の若人を大いに魅了した。都知事をつとめるお兄さんは、老いてなお血気盛んである。ちなみに当時の日本映画は封切館で100円。国民娯楽の雄であった。