2011年6月29日水曜日

ミラボー橋 杉山平一

1952


書 名 ミラボー橋   
著 者 杉山平一(1914−) 
発行人 森川辰郎
発行日 昭和27年9月10日
発 行 審美社
発行所 浦和市木太451
印刷人 山村榮
判 型 B6版 上製丸背ミゾ平綴じ 本文246ページ
定 価 200円



奥付

ウラ表紙

【ひとこと】本書には装釘者の名がしるされていない。したがってこれが花森安治の装釘であるとは、断定しがたい。しいてこじつければ、著者杉山平一と発行人の森川辰郎はともに、旧制松江高校で花森の後輩にあたる。すでに拙ブログでごらんにいれたように花森は、審美社が出した辻久一『夜の藝術』の装釘をてがけ、また森川の句文集『松江』(臼井書房刊)も装釘しており、旧知のあいだがらであった。

花森安治と「暮しの手帖」展 出品目録
さらにあげるなら、本書は世田谷文学館での『花森安治と「暮しの手帖」展』に展示され、その「出品目録」に収載されている。ただ、これが花森装釘であることを裏付ける力によわいのは、ひと目でわかる花森独特の描き文字がないことだ。

とはいえ、前回紹介した福原麟太郎『人間・世間』がそうであったように、この『ミラボー橋』にも切文字がつかわれており、類似点がなくもない。

【もうひとこと】杉山平一『詩と生きるかたち』(編集工房ノア2006年刊)がある。そこにインタビュー「花森安治を語る」がおさめてある。読んでみたけれど、この『ミラボー橋』について、杉山はひとことも触れていない。花森にゆかりのある品として、戦時中のハガキや写真をもちだしていながら、この装釘本のことは失念していたのだろうか。

もう一つ、表紙全体から花森らしい力強さが感じられないのが気になった。背表紙に小さく「杉山平一著」としているのも例がないし、本書を花森の装釘とするには、いくらか疑問がのこる。ご本人に尋ねるのがいちばん確実であろう。


【杉山平一本人の装釘であることが判明】
林哲夫さんのしらべにより、本書は著者の自装であることがわかりました。下記のブログをごらんください。



2011年6月27日月曜日

人間・世間 福原麟太郎

1969


書 名 人間・世間   
著 者 福原麟太郎(1894−1981) 
発行人 大橋鎭子
発行日 昭和44年11月5日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都中央区銀座8−5−15
印刷人 北島織衛
印 刷 大日本印刷株式会社
判 型 B6版 上製丸背ミゾ平綴じ ビニカバ 函 本文300ページ
定 価 720円


ウラ表紙

表紙全体


【ひとこと】花森安治の装釘による福原麟太郎エッセー集の二冊め。色紙を切った文字で書名と著者名をあらわした。表紙と背文字それぞれ別につくっている。こどもの図画工作のように見えるが、文字の配置、構成、配色のどれをとっても、花森安治の感覚が躍如。マネできそうで、できない。小器用につくっても、かえって味がでないから、ふしぎだ。芹沢銈介とは文字の表情がちがう。

カギの絵は、創元社の世界推理小説全集にも描かれているように、花森はこのんでえがいた。福原は戦前、東京高等師範学校在学中、チェスタトンの探偵小説(ブラウン神父シリーズ)を翻訳し『英語青年』に発表したという。でも本書に探偵小説の話はなかった。ちょっと残念。



本文見出し

奥付


【もうひとこと】本書に特徴的なことが二つある。ひとつは見出しである。花森安治のレイアウトでは、見出し部分はすくなくとも七行以上はとって、ゆったりしているけれど、ごらんのように本書では本文9ポにたいして見出しに26ポの活字をつかい余白がない。このレイアウトは、たとえば「流行」のように、全体に見出しの文字数がすくないことにもよっているのだろうが、冒頭の文字だけを飾り文字などで大きくあつかう洋書のやりかたにヒントを得たのではなかろうか。

もう一つは、花森が装釘ではなく「装本」の字句をつかっているところだ。花森なりの区別がありはしないかと架蔵本をしらべてみたが、はっきりしない。けれど気まぐれとも、おもえない。


函 本体表紙と同デザイン

2011年6月24日金曜日

本棚の前の椅子 福原麟太郎

1959


書 名 本棚の前の椅子   
著 者 福原麟太郎(1894ー1981) 
発行人 車谷弘
発行日 昭和34年5月25日
発 行 文藝春秋新社
発行所 東京都中央区銀座西8−4
印刷人 田中昭三
印 刷 凸版印刷株式会社
製 本 中島製本
判 型 B6版 上製角背ミゾ平綴じ カバー 本文308ページ
定 価 280円


カバー裏

カバー全体


【ひとこと】福原麟太郎は、名著『チャールズ・ラム伝』をのこした英文学者であり教育者。本書あとがきによれば、書名は『文學界』に同名タイトルで連載したエッセーにもとづく。しかし著者の名まえは背文字にあるだけで、カバーにも本体表紙にもない。書店の平台につまれたときの状態を想像すると、ずいぶん大胆な装釘だ。きっと福原のエッセーは評判がよかったのであろう。内容もさりながら『本棚の前の椅子』という書名はおしゃれだし、本を手にしたときの心のときめきを感じさせて、小生はすきだ。

本体表紙


奥付


【もうひとこと】たとえば「雑誌を読む楽しみ」と題した一文がある。その結びの数節をかきぬいてみよう。原文はすべて正字。

——私は今でも私を夢中に、と言つてよいほど一所懸命に読ませる雑誌があることを幸福に思つている。その一つは、古くからある英語英文学の雑誌である。家の者は、その雑誌が来ると、ペーパー・ナイフを添えて私のところへ持つて来てくれる。私はいきなり封を破いて、一頁ずつナイフで頁を切りながら、しばらくは息もつがせず読み耽るのだ。ああ、この人は新しい人だな、この男はどうしてこんなにねじけて来たのだ。ああ、これは解らない。若い人の言うことはちんぷんかんぷんだ。早く年をとつてくれよ。——

このアンカットの雑誌について、英米文学を専門とする畏友野間正二が、つぎのようなメールをくれた。「この雑誌は、明治31年?ごろに創刊された『英語青年』だと、わたしも思います。わたし自身も、きれいに裁断されていない、袋とじのままの『英語青年』を見た記憶があります。しかし、少なくともわたしが勉強を始めた頃には(40年くらい前には)、もう裁断されていました」——もつべきものは友なり。

2011年6月22日水曜日

風流落語お色け版

1952



書 名 風流落語お色け版   
編 者 安藤鶴夫(1908−1969)・日色惠
発行人 櫻井光雄
発行日 昭和27年7月5日
発 行 株式会社早川書房
発行所 東京都千代田区神田多町2−2
印刷人 佐野眞一
印 刷 明和印刷株式会社
判 型 B6版 並製 平綴じ 本文228ページ
定 価 140円





【ひとこと】『風流落語お好み版』の姉妹編である。表紙をみてもわかるように、お色け版と銘打ちながら、それらしき色香は感じられない。あでやかな柄の絣でつくった座布団と、扉にえがかれた下着が、わずかに気配を感じさせるだけ。目次画にいたっては都会の街の景色。花森安治にとって、それが精一杯であったようにおもえる。

以前にも書いたが、家庭にもちこんで、子どもの目にふれてもあわてないですむ出版を、花森はしたかった。その種の本や雑誌の存在を否定していたのではなく、ケジメをつけたかったのだとおもう。通勤電車の中で、裸同然の写真をのせた新聞を広げている御仁がいるけれど、そんな殿御でもやっぱり家には持って帰らない(帰レナイ)ものね。


目次 前部分

目次 後部分

奥付 表3広告

【もうひとこと】奥付をみて気づくが、発行が田園社から早川書房にかわっている。しかし発行人も所在地も同じで、もともと早川書房のあったところ。ちがうのは以前、このブログで吉川英治『青空士官』を紹介したときの発行人が早川清であり、それがこの風流落語二冊では櫻井光雄になっていること。

早川書房は、演劇雑誌『悲劇喜劇』を創刊した老舗出版社である。昭和28年から推理小説本の出版を本格化させるにあたって、分社する考えでもあったのだろうか——あくまでも小生の憶測。

広告のために花森は新しくカットをかいている。下足札を声に出してよむと「いの一番」。これについてはいずれふれたい。

『風流落語お好み版』『風流落語お色け版』の二冊を続けてごらんにいれた。気になることがあった。なぜお色け版だったのか。ふつうお色気とかくだろう。気を「け」としているのが気にかかったのだ。で、二冊ならべてじっくり見た。はたして「好色」の二文字がうかびあがったではないか。うがちすぎかもしれないが、二冊のタイトルのつけ方は、なかなか奥がふかい。藝って艶だよね。

2011年6月20日月曜日

風流落語お好み版

1952


書 名 風流落語お好み版(ア・ラ・カルト) 第一集  
編 者 安藤鶴夫(1908−1969)・日色惠
発行人 櫻井光雄
発行日 昭和27年1月1日
発 行 田園社
発行所 東京都千代田区神田多町2−2
印 刷 明和印刷
判 型 B6版 並製 平綴じ 本文262ページ
定 価 140円



【ひとこと】表紙正面にランプをもってきたところが、いかにも花森安治らしい。解説はヤボだが、扇子と湯呑は高座につきもの、右上は大入袋、扇子の右下にあるのが下足札であろう。知ったかぶりすれば、小生の「酢豆腐」ぶりがバレてしまうからよすが、落語の入門書として、本書はじつによくできている。いわば落語ミニ百科。だけど噺はきくもので、読んでもなぜかおもしろくないから奇妙。落語が話藝であることを実感させられる。


目次 前部分

目次 後部分

【もうひとこと】編者の安藤鶴夫は、坊主頭でべらんめー口調で、いなせな江戸っ子のじいさんという印象がつよかった。五十一歳でなくなっている。意想外に若かったのだ。共編者の日色惠は、東京新聞で安藤鶴夫の同僚にあたり、「将棋観戦記者・演芸評論家、女優日色ともゑの父」と紹介されている。

日色ともゑは、 東京大空襲を語り継ぐつどいや憲法9条を守る会に参加し、花森安治の「戦場」を朗読している。人の世の縁(えにし)をおもわずにいられない。
*「戦場」——『戦争中の暮しの記録』暮しの手帖社1969年刊所収

2011年6月19日日曜日

【森の休日】第5回 上杉謙信の縫合胴服

この伊那谷へひっこして来たとき、前回紹介した京都の町家で工房をいとなむ幼なじみの洋ちゃんが、手づくりの壁掛けを贈ってくれました。ごらんのように、何枚もの端布を縫い合せただけのもので、なんだかボロ布のつぎはぎのようです。しかし、ふしぎと見ていてあきません。洋ちゃんからコピーをそえた手紙がとどきました。 

<西陣織帯縫合壁掛け> 作 村山洋介(集芸舎代表)

コピーは山形県上杉神社所蔵の「金銀欄緞子縫合胴服」の写真と解説でした。「身頃は前二筋、後は三筋、袖は二筋にたてに割り、それぞれの筋に金銀欄、緞子などの外来裂を氷割れ風に縫い合わせてある。その裂(きれ)の種類はおよそ十五種あり、白・黒・黄・萌黄・浅葱などの色どりも美しい」とありました(至文堂『日本の美術』第12号'67/4)。

洋ちゃんが贈ってくれた壁掛けは、上杉謙信がきたという胴服のカットパターンに似せて作ったものでした。素材は、すべて西陣織の古い帯。25本もの帯を裁って縫い合せていました。西陣織の帯を裁つことなど、昔は考えらません。けれど世代が変わり、着る人がいなくなって、簞笥のこやしになっていた着物が、こだわりもなく処分される世の中です。だからこそ、それを惜しむ洋ちゃんのような職人の手が、この新しい工芸をうんだのでしょう。

戦国時代、上杉謙信が着ていた胴服は、もちろん古い端布からつくたものではありません。中国(明)から輸入した十五種もの金銀欄緞子などを、わざわざ小さく裁断し、しかも不揃いに切り嵌めて、一枚の生地にしてあつらえた陣羽織でした。それは贅と職人の技をつくしたもので、婆娑羅と称された戦国武将のオシャレであり、富と権力の象徴でもありました。

わたしはこれを見せられ、おそまきながら気づかされたのです。
上杉謙信の縫合胴服の存在を、学生時代から衣裳の研究をしていた花森安治が、知らなかったわけがありません。 古今東西の「衣粧美学」に通暁し、大政翼賛会時代には安並半太郎の筆名で『きもの読本』を書きました。絣の美しさに魅せられ、みずからデザインした絣の洋服をきて歩きました。花森安治には、戦国武将の権勢にたちむかう庶民の心意気と誇りが、高らかにあったとおもえます。

花森安治は1970年、暮しの手帖Ⅱ世紀第8号に署名エッセイ「見よぼくら一戔五厘の旗」をのせ、つぎのように結んでいました。



1976 一戔五厘の旗 表紙全体


ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない
黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布をつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ 
ぼくら こんどは後へひかない


一戔五厘の旗 函


旧友の洋ちゃんこと西陣の職人村山洋介は、こう言っています。
「謙信の胴服も、 花森さんの旗も、そこらにあった布きれを、ただ縫い合せて出来たというようなしろもんとは違うわなあ。いっぱい素材をあつめ、 よく吟味して、色合いと柄をえりすぐって、どれをどう縫い合せたら美しいか、第一級の職人のセンスがはたらいてる」

いま、あらためて花森安治の『一戔五厘の旗』の装釘をみると、わたしには花森が、「謙信が金銀欄緞子の胴服なら、こっちは木綿のこじき旗だ、負けるもんか」と胸を張っているように思えてなりません。と同時に、その装釘は、装本家恩地孝四郎への花森安治渾身の<回答>だったのではないでしょうか。恩地は昭和27年、次のように書き残しました。

——本は文明の旗だ,その旗は当然美しくあらねばならない.美しくない旗は,旗の効用を無意味若しくは薄弱にする.美しくない本は,その効用を減殺される.即ち本である以上美しくなければ意味がない.
(恩地孝四郎『本の美術』出版ニュース社1973年復刻版より、原文は正字正かな)

上杉謙信のぜいたくな胴服のことを知り、装本についての恩地孝四郎の定義を知り、そのうえで花森安治の『一戔五厘の旗』 を見ると、また新鮮な感動をよびさまします。あなたの目には、どう映りましたか。

2011年6月17日金曜日

学生はどこへいく 山下肇

1961



書 名 学生はどこへいく 大学と大学生 
著 者 山下肇(1920−2008)
発行人 車谷弘
発行日 昭和36年8月15日
発 行 文藝春秋新社
発行所 東京都中央区銀座西8−4
印 刷 大日本印刷
製 本 中島製本
判 型 B6版 上製平綴じ カバー 本文214ページ
定 価 260円


表紙


奥付

【ひとこと】山下肇はドイツ文学者。東京帝国大学独文科在学中、学徒出陣。戦後、日本戦没学生記念会事務局長につき『きけわだつみの声』を復刊させ、わだつみのこえ記念館長をつとめた。

花森安治の絵は、60年安保改定反対運動にやぶれ、意気消沈した学生の姿。そのご学生運動は分裂しながらも裾野を広げ、世界的な学園紛争、70年安保闘争へとむかう。その10年間で、学生運動は角材とヘルメットに象徴される姿に変わっている。しかし、連合赤軍による一連の事件をピークに急激に沈滞。団塊世代は、バブル経済の波間にのみこまれ、いつしか「おいしい生活」も終っていた。いままた就職氷河期、学生のゆくては険しい。されどおまえたちの未来だ。きりひらけ、息子よ。

時計の文字盤を逆さにしても、 過ぎ去った日々はかえってこない。花森はどんな思いで、扉の絵をかいたのだろうか。


表紙全体

カバー全体

【もうひとこと】奥付をみて、はじめて気づいた。本書を刊行していたころの文藝春秋新社は、銀座西8丁目4にあった。当時、暮しの手帖社は同8丁目5の日吉ビルにあったから、お隣同士だったのだ。文藝春秋は戦後、内幸町の大阪ビルが接収されて出たあと、現在の紀尾井町の社屋にうつるまで、銀座をあちこち移動したようだ。暮しの手帖社は、いま新宿にある。

2011年6月15日水曜日

女子學生ノート

1953


書 名 女子學生ノート 
編 者 阿部知二(1903−1973)・清水幾太郎(1907−1988)
発行人 美作太郎
発行日 昭和28年3月31日
発 行 新評論社
発行所 東京都中央区日本橋茅場町1−8
印 刷 株式会社耕文堂
製 本 長山製本所
判 型 B6版 上製丸背ミゾ 平綴じ 本文252ページ
定 価 280円(地方売価290円)



奥付

【ひとこと】女子学生を対象とした啓蒙書。アンソロジーである。執筆者は下のとおりで、女性ばかりではない。

清水幾太郎、神近市子、帯刀貞代、丸岡秀子、上原専禄、戸板嵐子、小出證子、阿部知二、大塚金之助、硲伊之助、小田切秀雄、木下順二、園部三郎、加藤橘夫、土岐善麿、羽仁説子、勝田守一、佐田稲子、黒田耀子、大河内一男、山木杉、平塚らいてう、山川菊榮、山本安英(24名)

本書刊行時、女子大生はすくなかった。いま読むと、女性がかいたもののほうがリアルでおもしろい。たとえば平塚らいてう(1886−1971)の、つぎの一節。
——今のように電車があるわけでなく、毎日少なくとも三里や四里は歩いていたわけで、セル縞袴に、ほんとうなら、靴をはくべきところを、歩き易いので私は日和下駄をはき、短刀を袴の下にひそませて、毎日東京の町を東奔西走して、少しも疲れというものを知りませんでした。

ちなみに花森安治は高校受験浪人中、平塚らいてう著『円窓より』を神戸市立図書館で見つけて読み、それが婦人問題に関心をもつきっかけとなったという(朝日新聞学芸部編『一冊の本』所収/雪華社1963年刊)。


表紙全体 背文字箔押し

カバー全体

【もうひとこと】本書を板行した新評論社の美作太郎(1903−1989)は、戦時中の言論弾圧いわゆる横浜事件で、特高に逮捕連行され拷問をうけた一人。その痛みを、わたしたちはつねに想像しなくてはならぬ。彼らの冤罪がはらされるまで68年もかかった事実を忘れてはならぬ。日本には、天災人災を問わず、被害者をまもる法律が不十分なことも。

2011年6月13日月曜日

私の卒業論文

1956


書 名 私の卒業論文
編 者 東京大学学生新聞会 
発行人 北川竹蔵 
発行日 昭和31年12月15日
発 行 同文館
発行所 東京都千代田区神田神保町1−23
印 刷 旭印刷株式会社
製 本 栄久堂製本
判 型 B6版 上製角背ミゾ平綴じ カバー 本文178ページ
定 価 180円


表紙


奥付

【ひとこと】あとがきによれば、本書は週刊『東京大学学生新聞』に連載したもので、文学部の学生に卒業論文の書き方をアドバイスしたかったようである。執筆者は掲載順に下のごとし。

 阿部知二、中村草田男、上林暁、岩崎昶、柳宗悦、花森安治、池島信平、山岸外史、高橋義孝、渡辺一夫、舟橋聖一、梅崎春生、扇谷正造、井沢淳、前田陽一、呉茂一、山根銀二、コバヤシ・ヒデオ、林健太郎、飯島正、渡辺紳一郎、田辺尚雄、山村聰、神田隆、麻生磯次、山下肇、桶谷繁雄、倉石武四郎、安部能成、吉田精一、福武直、高松棟一郎、阿川弘之、池上鎌三、中村真一郎、藤森成吉、山路閑古、今泉敦男、宮本正尊、斯波義慧、岡崎俊夫(41名)

花森安治は「世界最初の衣裳美学」と題して寄稿している。

花森安治「世界最初の衣裳美学」

【もうひとこと】しかし助言というよりも、謙遜と含羞のオブラートにつつみながらの、自画自賛という感じがしないでもない。功なり名をとげた面々であれば、それもむべなるかなであろう。編集者もそのところはよく心得たもので、巻末に「〝卒業論文〟を完成させるために」と別章をたて、井上究一郎、服部静夫、村川堅太郎の三人に、実用的なアドバイスをもとめている。花森安治(だけではない)が、いくら優秀な先輩で、ユニークな論文を書いたとはいえ、そいつを学生たちがこぞってまねた日にゃあ、大学だってこまるもの。

本体表紙

カバー全体(東大のレンガ塀)

【おまけ】今月18日、『花森安治戯文集1』が刊行される。花森安治の『逆立ちの世の中』(河出書房1954年刊)を主に、これまで未収録の著作や対談等をあつめ復刻した。花森安治の人と言説を知るためには格好のアンソロジーといえよう。

ちなみに『逆立ちの世の中』の「ボクのこと」という一章には、「世界最初の衣裳美学」が「二度書いた卒業論文」と改題しておさめてあり、こんかいの復刻でそれも読める。

言わずもがなながら、気取ってみせたのだろうが、戯文集のタイトルは「たわむれ」に書いた文集のごとき印象をあたえる。戯曲や戯作者のそれとおなじで、井上ひさしが好んで揮毫した「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」の意である。誤解なきように。価格2625円は、ちいと高いけれど、どうぞ、お買い上げのほどを。出版取次 JRC。