2011年8月12日金曜日

放列 中山富久

1943


書 名 放列 バタアン砲兵戦記   
著 者 中山富久(1913−?)
発行人 目黒四郎
発行日 昭和18年4月25日
発 行 育英書院
発行所 東京都神田区駿河台3−1
印刷人 石村勲
印刷所 大日本印刷株式会社
判 型 B6判 上製平綴じ 口絵他共本文234ページ
定 価 1円80銭




中山の献辞と目次最終ページ

奥付

ウラ表紙


【ひとこと】放列は、砲列とも書き、戦場で大砲が列をなして敵陣にむかう攻撃態勢をいう。中山富久は陸軍中尉、砲兵隊の士官であった。花森安治の表紙は、どう見ても砲弾ではなく銃弾。懐中時計は、中山の身分を象徴する所持品であろう。絵も構図も花森らしいデザインだ。

中山のことがよくわからない。慶應義塾出身で横浜に住み、戦後の作品には『幻想拾遺』『月も岩も濃い青』などの詩集もある。昭和19年、大政翼賛会文化厚生部に勤労芸能研究会が組織されているが、その末席の係員として、宣伝部の花森安治とともに、中山富久、岩堀喜之助(平凡出版創設者)、中谷毅の四人の名まえが残っている。


口絵 向井潤吉

題字 比島方面最高指揮官陸軍中将 本間雅晴 

序歌 齋藤茂吉


【もうひとこと】ふしぎな本である。上掲のごとく向井潤吉の口絵、齋藤茂吉の序歌、陸軍中将本間雅晴の題字(色紙)のほか、陸軍中佐高橋克己の序文まで附けている。いかにも大政翼賛会の宣伝部から応召した職員による敢闘記で、鳴り物入りの国策出版物に見える。しかし、なかみは中山富久の紀行ふう随筆と和歌。悪名高き「バターン死の行進」についての記述もなく、だれかの批評のように「戦時資料としての価値はない」。とはいえ、ところどころに愛国常套句をちりばめてはいるものの、正直な心象叙述や感傷的な歌は、読む者にじわじわと厭戦気分を植えつける。つまりこの時期、戦意昂揚にはなりえそうもない本を、よくも上梓できたものだと感心するのである。

本文中、本領信治郎、八並璉一、入澤文明、川本信正ら、翼賛会宣伝部における中山の先輩同僚の名まえを見つけることができる。あとがきには、「また出版に関する一切が、畏友花森氏の美しい戦友道義により為されたことに就て敬礼する」と記している(原文正字)。——みんなで渡れば怖くない、ということかしら。

当時、日本には出版法があった。内務省の事前検閲により、内容がふつごうと見なされれば発禁となり、関係者は処罰された。