2011年8月24日水曜日

浦島太郎 中谷宇吉郎

1951


書 名 浦島太郎 
著 者 中谷宇吉郎(1900−1962)
影 絵 藤城清治(1924−)
写 真 松本政利(1909−1975)
発行人 大橋鎭子 
発行日 昭和26年12月10日
発 行 暮しの手帖社
発行所 東京都中央区銀座西8丁目5
印 刷 青山印刷株式会社(本文)・有恒社(表紙)
製 版 廣橋美術製版所 
製 本 佐藤賢一郎
判 型 B5判 上製角背ミゾ 平綴じ 本文48ページ
定 価 160円



奥付


【ひとこと】中谷宇吉郎は寺田寅彦に師事した物理学者。雪博士として知られ、『暮しの手帖』には昭和25年4月発行の第7号から、たびたび寄稿した。

本書は、中谷がわが子のために語って聞かせたという『浦島太郎』である。われわれが知るオリジナルとちがうのは、まずはその語り口。中谷の巧みな話術が活かされている。内容は大筋でおなじだが、ディテールが物理学者らしくておもしろい。

藤城清治は、その才能を花森安治に見いだされ開花させた影絵作家。いまなお元気で創作に励んでいる。慶賀にたえない。ちなみに藤城の『影絵はひとりぼっち』(三水社1986年刊) によれば、『暮しの手帖』の表紙も印刷していた有恒社は、刷り上がりが悪いとすべて廃棄し、新たに刷りなおしたという。

<訂正2011/11/29 藤城清治著『影絵はひとりぼっち』に称揚された印刷会社は恒陽社。かんちがいでした。訂正しておわびします。ただし有恒社もそれに劣らず職人気質の印刷会社であったことは、まちがいありません。>

松本政利は暮しの手帖社に専属し、花森安治の期待にこたえる写真をとりつづけたフォトグラファー。高度の撮影技術をもちながらも芸術家を気どることなく、松ちゃんとよばれ慕われていた。花森とは生活社『婦人の生活』シリーズ以来のコンビであった。

本書には、装釘者として花森安治の名は記されていない。


生活社がだした日本叢書 


【もうひとこと】中谷宇吉郎は、生活社の鐵村大二と親交が深かった。昭和22年1月、生活社から出た中谷の『春艸雑記』に、中谷はつぎのような「附記」をよせた。長いので抜粋する(原文正字正かな)

——本書は生活社の故鐵村大二君の熱心な希望によって同社から出すことにしたものである。昨年の早春、東京の大半が戦災によって焼けていた頃、鐵村君は(中略)「防空壕の中で読む本」を世に送りたい、それには粗末な紙の小型本でよいから内容の出来るだけ高いものが欲しいということを言っていた。それで始めたのが『日本叢書』であった。

——鐵村君のやり方は、私には非常に興味があった。その頃の『日本叢書』は新聞全紙裏表に刷って十六枚に(中略)鐵村君初め(ママ)全社員が、竹篦でそれをどんどん折って、折れ上がった分から窓の外の椽台に積み上げていた。そこへ戦災者らしい人だの学生だのがつめかけて来て、次ぎ次ぎと買っていった。

——此の『日本叢書』のやり方を、私は褒めた。そうしたら鐵村君は、実はこういうやり方と並行に、ちゃんとした綺麗な本を作ることを考えていると言った。そして私の随筆集を求めた。「もうすぐそういう時期が来ます」ということであった。此の言葉の意味は今でも不明である。鐵村君はこの七月にむつかしい病名で亡くなってしまった。終戦を予想し、其の後の出版界の荒んだ混乱状態を考え、 漸く落ち着いて楽しめるような綺麗な本が欲しいようになった現在の状態まで見透したわけではないであろう。しかしひょっとしたら、それくらいのことは考えていたのかもしれない。

鐵村大二が昭和21年7月になくなったことは、この中谷の文章でわかる。鐵村が病床についていたころ、花森安治は大橋鎭子とともに衣裳研究所をつくり、6月『スタイルブック』夏号を刊行している。